スカイライナーで行こう!

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スカイライナーで行こう!

2010年といえば何ですか?バンクーバーオリンピックにサッカーワールドカップ、はやぶさ帰還などなど色々ありましたが、電車好きとしては京成成田空港線開業を推したいですね!成田スカイアクセスの開通で日暮里~成田空港までの移動が随分便利になりました。それまで日暮里~空港第2ビル駅までは51分以上かかりました。ところがスカイアクセス経由の新車両「スカイライナー」を利用するとその間の所要時間36分!上野~成田空港駅間でも最速で41分!私も度々日暮里~成田空港への移動に京成を使うのでこの進歩には感動しちゃいました!空港や遠くの土地がどんどん近づいてくるようで熱いですね!もう50年、100年もすればますます所要時間が短縮、あるいは新しい移動手段が増えるんじゃないかと想像するとわくわくします。そうして世界はじわじわとドラえもんの未来の世界のようになっていくんでしょうね。

早くて快適スカイライナー

先日、日暮里から成田に出る用があったのでスカイライナーに乗ってきました。普通電車とは一線を画したスタイリッシュな車両はまるで新幹線のよう。ちょうどその時ホームの隅で鉄道ファンとおぼしき人物が熱心にスカイライナーを撮影していました。私はそこまで熱い鉄っちゃんではありませんが、そうやって写真を撮りたくなる気持ちがちょっと分かりました。そのくらいスカイライナーはかっこいいですからね!そうして熱い鉄っちゃんを横目にスカイライナーへ乗車。内装も素晴らしかったです!まず目に飛び込んで来たのは白、ブルー、グレーを基調としたスッキリ車内!電車特有の閉塞感や薄暗さ、圧迫感をまったく感じさせない開放的な空間が広がっていました。きっと照明が明るくて天井が高いからでしょうね。シートも座りごこち最高で、前の空間も広くて足を前にぐっと伸ばせる程。とんでもない快適空間です。こんなにも居心地がいいとは…!そして多機能トイレや洗面所もスタイリッシュ!白×黒のシックでありながら清潔感を感じさせるその空間はデザイナーズマンションかと思わせられるオシャレスペースでした。しかも広い!残念ながら乗車時間がほんの30~40分と短いのでお世話になる機会は少なそうだけれど、どこもかしこもスッキリ美しくてもっと乗っていたくなりますwww 調べてみるとスカイライナーはグッドデザイン賞やブルーリボン賞などを受賞しているそうです。流石!

みなさんも都心~成田へ移動の際はスカイライナーに乗ってみるといいですよ!お値段張りますが、全席指定だから普通電車のように混んでる・座れないといった不満は感じないどころか超快適!そして早い!!私は別に京成の関係者でも回し者でも何でもありませんが、空港へお出かけの際は是非スカイライナーを!と声を大にしておすすめしたいです^^

スカイライナーについて

散々前述したスカイライナーの概要をご紹介します。スカイライナー(Skyliner)は、京成電鉄の京成上野駅 - 成田空港駅間を成田空港線経由で運行する座席指定列車の列車愛称であり、京成電鉄における最速達の列車種別である。乗車には運賃の他に料金を必要とする。

東京都心から成田空港への空港アクセス列車として、1978年の成田空港開港と同時に運行を開始した。「スカイライナー」の名称は、空港連絡列車の愛称として日本全国の小学生からの公募により決定された。

開港当初は成田空港への唯一の鉄道アクセス手段であったが、当時は成田新幹線計画があったため、京成電鉄の成田空港駅(現在の東成田駅)は空港ターミナルから約1km離れた場所に設置された。これにより駅から空港ターミナルへ行くにはバスへの乗り継ぎが必要であり、「スカイライナー」はリムジンバスなど他の交通機関との競争で苦戦を強いられた。しかし、成田新幹線計画の消滅などにより、1991年3月に東日本旅客鉄道(JR東日本)とともに空港ターミナル直下となる現在の成田空港駅への乗り入れを果たしている。

1979年9月より、成田山新勝寺参詣客の利便性向上を目的に京成成田駅にも昼間時間帯の「スカイライナー」が停車するようになり、2003年7月よりほぼすべての「スカイライナー」が停車するようになった。また、2006年12月から京成船橋駅にもほぼすべての「スカイライナー」が停車するようになり、「成田エクスプレス」が通過する千葉県中央部と成田国際空港との連絡列車としての側面を持つようになった。

2010年7月には成田空港線(成田スカイアクセス)が開業し、従来の京成本線を経由するルートから同線経由へ運行ルートを変更、それまで日暮里駅 - 空港第2ビル駅間 で51分かかっていた所要時間が36分へと大幅に短縮されている。従来「スカイライナー」が運行されていた京成本線には「シティライナー」を新設し、京成 成田駅や京成船橋駅などかつての「スカイライナー」停車駅の需要は同列車が担っているが、本数は非常に少ない。(1日1往復のみ)

沿革

成田山新勝寺参拝列車「開運号」とその周辺列車群

戦前期
  • 1930年(昭和5年)6月15日 - 押上駅 - 京成成田駅間に急行(1往復)を運転開始。途中停車駅は高砂・谷津海岸(→谷津)・宗吾(→宗吾参道)で、所要時間60分は戦前最速であった。 1931年(昭和6年)12月10日 日暮里駅 - 青砥駅間開業に伴うダイヤ改正時に廃止。
  • 1936年(昭和11年)9月10日 - 急行を復活。上野公園駅(→京成上野) ・押上駅 - 京成成田駅で5往復運転。途中青砥駅での併結運転としていた。途中停車駅は日暮里・千住大橋・青砥・高砂・京成津田沼。所要時間は上野公園駅 - 京成成田駅間73分、押上駅からは65分。
  • 1937年(昭和12年)5月1日 - 急行を格上げする形で臨時特急「護摩」が上野公園駅・押上駅 - 京成成田駅間で運行を開始した。これを公式に成田山新勝寺参詣観光特急列車としている。途中停車駅に新三河島・町屋を追加。所要時間は急行時代と変わらず73分。
  • 1939年(昭和14年) - 押上駅発着の途中停車駅に京成請地を追加。
  • 1940年(昭和15年)12月16日 - ダイヤ改正により7往復に増発。停車駅から新三河島・町屋・高砂・京成請地が外れる。
    • この時期には夏季臨時列車として特急「金波」「銀波」を上野公園駅 - 京成千葉駅(初代)間に運転。
  • 1941年(昭和16年) - 2扉セミクロスシートの1500形就役。
  • 1943年(昭和18年)3月 - 特急廃止。
戦後復興期
  • 1949年(昭和24年)7月1日 - 急行「護摩」を運転再開(5往復)。途中停車駅は日暮里・千住大橋・青砥・高砂・八幡・京成船橋・谷津遊園・京成津田沼・大和田・京成佐倉。所要時間は97分。
  • 1951年(昭和26年)1月 - 戦時中ロングシートとなっていた1500形をセミクロスシートに復元。優等列車用に整備した600形と組み合わせて急行「護摩」に優先的に運用を開始。夏季には臨時急行「潮風号」を上野公園駅 - 京成千葉駅間に運転。
  • 1952年(昭和27年)5月1日 - 特急「開運号」が電装・再整備した1500形を使用して運転を開始した。運行当初は上野公園駅 - 京成成田駅間で、途中停車駅は青砥駅のみ。所要時間84分。当初は自由定員制であったが、6月から座席指定席制を採用する。また、同時にこれまで運行されていた急行「護摩」は臨時急行に格下げされる。
  • 1953年(昭和28年)5月 - 特急「開運号」に専用車両1600形を導入。1500形は急行用に格下げした上で「開運号」の予備車となる他、多客時の臨時特急「印旛号」などにも使用された。2両編成であるが、大手私鉄で初めてリクライニングシートを採用し、日本の鉄道車両で初めてテレビ(後に1500形にも設置)を設けるなど、当時の車内水準とすれば豪華さが目立つ車両であった(関連記事)。同年10月のダイヤ改正で所要時間75分に。
  • 1957年(昭和32年)4月1日 - 1600形が3両編成化される。ただし、編成数自体は1編成のみであった。
    • 12月1日 - 京成津田沼駅 - 宗吾参道駅間の路線改良によるダイヤ改正で所要時間61分に。
    • この時期には「開運号」補完の不定期特急・急行、千葉線の夏季海水浴臨時列車に加え、京成成田駅からのバス連絡による観光列車「水郷」「とね」「つくば」が運転されていた。
  • 1958年 (昭和33年) 7月1日 - 宗吾参道駅 - 京成成田駅間の路線改良によるダイヤ改正で所要時間60分に。
  • 1963年(昭和38年) - 3150形セミクロスシート車両が登場し、「開運号」の予備車にも使用することとなった。これにより1500形は「開運号」の予備車を外れて一般車に格下げされる。
    • なお、地下鉄乗り入れ仕様の性能・車体を有していた3150形により臨時で都営地下鉄1号線(→浅草線)方面からの「開運号」も設定されたこともあるが、都営線内での座席指定料金の取り扱いについては有料であったかどうかを含めて不明である。
  • 1965年(昭和40年) - 夏季海水浴列車として不定期急行「九十九里号」が京成上野駅/都営浅草線方面 - 京成千葉駅(現・千葉中央駅)間で運行された。
    • 1960年代に入ると千葉線沿線では埋め立てにより海水浴場が閉鎖されたことから、京成千葉駅から九十九里浜方面へのバス連絡による列車へと変化、これまでの愛称名も整理された。1962年(昭和37年)から1967年(昭和42年)までは新京成線松戸駅 - 京成千葉駅間にも臨時列車として急行「九十九里号」が運行されていた。
    • なお、都営浅草線方面発は3000形以降のいわゆる「赤電」を、上野発については「青電」も使用していた。また、列車種別も当初は急行であったが、京成の不定期急行が1968年(昭和43年)度に廃止されたため、1969年(昭和44年)から1974年(昭和49年)までは特急に変更となった。
  • 1967年(昭和42年)11月12日 - この日限りで「開運号」の専用車両を1600形から3150形に変更。
  • 1967年(昭和42年)12月 - 3200形の落成により同形式も「開運号」への運用を開始。翌年のダイヤ改正で所要時間59分に。
    • 3150形と3200形に変更したのは、この時すでに決定していた「空港連絡特急」への中継ぎであったため、地下鉄乗り入れ仕様の性能・車体を有していたが、座席指定席制を維持するために座席配置をセミクロスシートとしていた。同時に1600形は「開運号」での運行を終了し、一般車に更新される。
  • 1968年(昭和43年) - 夏季海水浴列車として不定期急行(のちに不定期特急)「くろしお」が京成上野駅 - 京成成田駅間で運転。
    • マイカーによる道路混雑の悪化により、これまでの京成千葉駅でのバス連絡を京成成田駅から九十九里浜・蓮沼海岸へのバス連絡にシフトした。
  • 1969年(昭和44年)12月31日 - 大晦日臨時ダイヤで京急の車両による特急「招運」が三浦海岸駅 - 京成成田駅で運転(2往復)。
    • この後1970年(昭和45年)から1978年(昭和53年)までの正月・行楽期には三社直通の臨時特急が運転された。

AE形電車登場以降

  • 1972年(昭和47年) - AE形落成。同時に「空港連絡特急」の愛称として、日本全国の小学生からの公募により決定した「スカイライナー」の名称を与えられる。また、「開運号」の運行も平日昼間と休日中心の運行となる。
  • 1973年(昭和48年)12月30日 - AE形で「開運号」代替列車の運行開始。すでに「スカイライナー」の名称が与えられたが、新東京国際空港の開港が予定より大幅に遅れていたことからやむを得ず「特急」の名称で運行された。「開運号」時代と異なり、当時は京成上野駅 - 京成成田駅間を無停車で運行していた。所要時間55分。
  • 1978年(昭和53年)5月5日 - 宗吾車両基地に留置中のAE形が放火され全焼する事件が発生。
    • なお、前年の1977年にも宗吾車両基地が放火被害に遭い1両を廃車して代替新造を行うなど、成田空港反対闘争のあおりを受けた。
  • 1978年(昭和53年)5月21日 - 新東京国際空港開港にあわせ、ようやく「空港連絡特急」として「スカイライナー」が京成上野駅 - 成田空港駅間無停車で運行を開始。所要時間60分。
    • しかし、放火事件により所定運用を満たせないことから8月8日まで計画ダイヤより5往復の減便を余儀なくされた。
    • また、当時は成田新幹線計画があったことから京成の成田空港駅は現在の東成田駅であり、空港敷地内にあるものの、現在の成田空港第1旅客ターミナルビルからは徒歩でアクセスしづらい離れた位置にあった。そのため、駅から連絡バスを要するなどの不便さがあったため、客足はさほど伸びなかった。
  • 1979年(昭和54年)9月1日 - 「スカイライナー」昼間の一部列車が京成成田駅に停車開始。
  • 1983年(昭和58年)12月1日 - 「スカイライナー」上り(京成上野駅行)に限り日暮里駅に停車開始。
  • 1984年(昭和59年)12月1日 - 「イブニングライナー」運行開始。
  • 1985年(昭和60年)10月19日 - 「モーニングライナー」運行開始。
    • この時期は「スカイライナー」の運転間隔が30分毎であるのに対して、無料特急は40分毎であった。「スカイライナー」の利用客は少なかったこと から無料特急との運転サイクルを合わせるため、「スカイライナー」も40分毎に運行するようになった。その後、海外旅行客の増加とともに「スカイライ ナー」の利用客も増加し、満席となる列車も増えたこともあり、後述の8両化につながる。
  • 1990年(平成2年)6月19日 - AE100形が運行開始。このAE100形に合わせ、AE形は6両編成7本を順次8両編成5本に組み替え、全列車が8両編成になる。

成田空港駅開設以降の展開

  • 1991年(平成3年)3月19日 - 空港ターミナルビル直下に現在の成田空港駅が開業し、同時に「スカイライナー」「モーニングライナー」「イブニングライナー」が乗り入れ開始。またこの日 より下り「スカイライナー」も全列車が日暮里駅に停車を開始する。所要時間は路線変更により1km伸びた事と、日暮里駅停車により62分に。
    • これにより空港アクセスの利便性は格段に向上したが、同日にJR東日本でも、都心部の複数駅から成田空港アクセス特急「成田エクスプレス」の運行を開始したので、「スカイライナー」は新たな競争に晒されることとなった。
  • 1993年(平成5年)6月27日 - AE形が運行を終了。以降、2010年7月16日までAE100形で運用された。
  • 1996年(平成8年)7月20日 - 「スカイライナー」の最高速度が京成成田駅 - 駒井野信号所間に限り110km/hとなる。
  • 2003年(平成15年)7月19日 - 下り早朝2列車を除き京成成田駅に全列車停車開始。
  • 2004年(平成16年)6月29日 - 京成電鉄社長が「スカイライナー」新型車両計画があることを表明。
  • 2004年(平成16年)10月30日 - 「モーニングライナー」「イブニングライナー」をそれぞれ1本増発。
  • 2006年(平成18年)12月10日 - 下り早朝2列車を除き京成船橋駅に全列車停車開始。
  • 2007年(平成19年)1月28日 - 「開運号」のリバイバル運転を実施(京成上野 - 京成成田間1往復)。
  • 2007年(平成19年)7月31日 - 「スカイライナー」の利用者数が営業開始29年目にして1億人を突破した。これを記念して成田空港駅で記念式典を実施した。また、当該列車となった「スカイライナー」20号の乗客全員にオリジナルうちわと1億人突破記念オリジナルハンカチをプレゼントした。その後、AE100形全編成に1億人乗車記念ステッカーが貼付された。
  • 2008年(平成20年)4月26日 - AE100形AE128編成を使用した「成田屋号」を運転し、特製のステッカーも貼付された。なお、この編成は同年5月28日まで「成田山開基1070周年記念号」として運転された。
  • 2010年(平成22年)3月1日 - 「スカイライナーチケットレスサービス」を開始。

成田スカイアクセス開業以降

  • 2010年(平成22年)7月17日 - 成田空港線(成田スカイアクセス)経由の新ルートが完成し、新AE形(8両編成)に よる160km/h運転区間を有する新「スカイライナー」の運行を開始。同時に、AE100形を使用した京成本線経由の有料特急「シティライナー」の運行 を開始、青砥駅が「シティライナー」停車駅となる。また、「モーニングライナー」「イブニングライナー」は全列車新AE形での運行を開始(運行ルートは従 来通り京成本線経由)。
  • 2011年(平成23年)
    • 3月11日 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生し、全列車が運休。
    • 3月14日 大震災による発電所の停止に伴う電力供給逼迫のため、東京電力が輪番停電(計画停電)を実施。これに伴い、この日から有料特急全列車の運転が休止。
    • 4月4日 「スカイライナー」「モーニングライナー」「イブニングライナー」の運転を再開。
    • 9月10日 「シティライナー」の運転を京成上野 - 京成成田間で再開。1日2往復まで減便。
  • 2012年(平成24年)10月21日 - 乗り入れ5社一斉ダイヤ改正に伴い、「スカイライナー」早朝便などを増便する一方、「シティライナー」を1日1往復に減便。

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